妖怪アパートの幽雅な日常 B



いいキャラだ、田代ちゃん……(笑)。



キャラがよく動いてくれると本当に助かる。
今回は、この「田代ちゃん」と「三浦先生」のキャラに助けてもらった。
この二人がいい! と褒めてもらったし(喜)!!


で、実は「三浦先生」のキャラというか、セリフとかもなんだけど「モデル」がいる。
もちろん、そのモデルはあんな「完全にイっちゃってる人」じゃないけども (近いものはあるけども)、そやつが実際に言ったセリフや、考え方、 行動などが、大変大変大変参考になったのだ。ありがとう〜〜〜っ!!



中学、高校時代は「自分を作る」ための大切な時期である。 今はもうちょっと幅が広がって、小学校高学年からそういう時期は始まっていると思うが。

この期間は、他人としっかりコミュニケーションをとる必要がある。
というよりも、「自分にも自分以外にも、しっかりと関心を持たねばならない時期」と言った方が いいかな。
この時期にそうあらねばならないということはないが、この時期を外すと、後でずいぶん苦労すると 思う。



若い頃というのは、とにかくもう、いろいろ勘違いだらけだ。


羽海野チカの漫画「ハチミツとクローバー」第6巻に、「青春スーツ」なる傑作な表現が出てくる。

青春スーツは、「思い込み」「間違った自信」「嫉妬」「情けなさ」「未練」「束縛」…そういったもの からできている。若い奴は、このスーツをガッチリ着込んでいるのである。

これを見て爆笑した「大人」達は大勢いただろう。
私も腹を抱えて笑い転げた。「そうそう! そうだった、そうだった!」と。

青春スーツを着込んでいる最中の奴は、自分がそんな状態だなんてわからない。もちろん。
でもそのスーツは、心身の成長とともに脱げてゆくものである―――――――――が、



いつまでたっても、このスーツを着込んでいる奴も大勢いるようだ。


そんな奴らのスーツは、もはや「青春スーツ」とは言えない。恥かしくて。
スーツは着込みすぎて体と癒着してしまい、こりゃあコイツは一生このままか……と、頭が痛くなる。

「イタイ」大人のできあがりだ。



こういう奴らは、どうして青春スーツを脱げないのだろう?
生まれつきそういう性格であるとか、そういう環境で育ってきてしまったとか、本人にもどうしようもない 理由もあるだろう。



「世界」は、広く持ちたいな。
あらゆる可能性と、たくさんの選択肢を持っていたいな。
そこから、何が自分にとって一番いいのかを考えるのが重要だ。
まわりの言うことに耳を傾けることも大事だが、決して左右されることなく。
常識や固定概念や慣例を踏まえることも大事だが、それに縛られることなく、自分の世界を広げ続けて ゆきたい。



三浦先生には、2人のモデルがいるんだが、その1人は、「これしかダメ!」という性格の奴だった。

私は、なぜ「これしかダメ」と他の可能性を頭から排除するのか、さっぱりわからなかった。
それは、他人の可能性も自分の可能性も否定してしまうことだ。
それは「自分の世界」をせばめることだ。こんな生き方は、損なばかりだと思う。



もう1人のモデルは、青春スーツが癒着した奴である。

こいつを見ていると、自分の中学や高校時代のことが思い出されて、その頃の恥かしい自分を目の前で見て いるようで、もうメッチャクチャ恥かしいっっ!!(真山を目の前にした野宮の ごとく/「ハチミツとクローバーE巻」
「いい年して何やってんだよ、おめーはヨ!」と、何度そいつを怒鳴りつけたことか。

「グループは、みんなで仲良くお手手をつないでやっていきましょう。誰か1人でも、誰かを嫌いだなんて、 そんなことは言わないでネ」

なんて、当然のように言うのである。 私たちは幼稚園児か!!
そしてこいつは、自分よりも10歳も年下の子から「そんなことは現実には無理です」 なんて言われてしまったのだ。ああっ、恥かしいっっっ!!!

もちろん、みんなが仲良くやっていくに越したことはないのだが、「生身の人間」にはそんなことは無理 である。
……というか、気に入らない奴がいたっていいじゃないか? それも含めて、お互い折り合っていくのが 生身の大人同士の人間関係ってものだろう。

子どもの理想では薔薇色のユートピアは描けても、大人として一歩社会に出れば、そこには理不尽と 不条理の嵐が吹きまくっている。

そこで「壊れないため」に、自分の世界は広く広く広げておくことが必要なのである。

理不尽と不条理と、折り合っていける「度量」が必要なのである。

これは、すべてと妥協しろということではない。「とんがる」ことも良し。それは臨機応変だ。
「いかなる意味において」も、自分を縛ることはないのである。

「未来へゆく自分の可能性」の芽を、つぶさないために。



念のために言っておくが、青春スーツが癒着した奴とは、今でもちゃんと友人である。
イタイ部分はあっても、それはそいつの「一部」に過ぎず、一部のために全部を否定するようなバカな 真似は、それこそ子どものすることだ。おそらく「お互い様」だろうしな。




このモデルのこともそうだが、このところ目の前で「モロ青春」している人々の意見を見聞きすることが 多かった。
これは、「妖怪アパート〜」を書くにあたって、もンのすごく参考になった。ちょうど 夕士たちの「実年齢」にピッタリだったからだ。
私は、その人たちを見ながら「キャラ立ちしてるなあ〜」と舌なめずりしていた(笑)。これからの 作品に大いに使わせていただく。ごっつあんです。




      
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