ハマれるものがあるって、なんて幸せなんだ!!
☆ 尾田栄一郎 「ONE PIECE」(集英社)
今や知らない者はいないであろう超人気シリーズ。よくぞここまで売れたもんだと感心する。これを一番に
もってきたのは、現在ハマっている真っ最中だから(笑)。
本誌の方を読んでいなかった私がワンピを知ったのは、コミックが3巻あたりまで
出た頃。本屋に平積みされていた表紙を一目見て「あ、これはイイ!」とピンときた。それは特定の人物
を見てのことだったのだが(あえて誰とは言わない/笑)、私は自分がハマりそうな人物には非常に鼻がきく
のである。これが現実の男に通用しないのが悲しいところだが、そんなことは置いといて(笑)。
とにかく「コイツはいかん! コイツにはハマる!!」と表紙を見ただけで感じた
私は、あえてコミックを読むのを避けていたのだが、その努力は長く続かなかった。アンソロ本を読んで
しまったのである(うわわわ〜〜〜〜〜!! じゃ、邪道〜〜〜〜〜!!!!!)。もうこれで、本編を
読まずにはいられなくなったのだ。案の定、ハマったハマった。かつてないくらいハマりまくってしまった。
本編を読んで、なおさら同人にハマった。フィードバックだ―――!!(笑)
ああ、純粋にワンピを読んでいる人たちよ、ごめんよごめんよごめんよ! 私は
横道からワンピ道に入ったさ! ああ、入ったサ!!! そして今も、横道まっしぐらさ!!!!(大笑)
☆ 諸星大二郎 「妖怪ハンター」シリーズ(集英社)他
伝奇ホラーのベテランにして大御所。日本書紀などの神話ものを扱わせれば漫画界一! 中国の神話などにも
造詣が深い。
筆で描いていると
思われるシャープとは言い難いラインと、アジアンテイストな悪趣味さが不安感をかきたてます。
以前、シンガポールのタイガーバームパーク
に行った時、そこに展示されている原色で気味の悪い人形が諸星さんが描く漫画とそっくりだったので
「なるほど!」と思った(何がなるほどなのかは不明)。
一番最初に読んだ諸星作品が、この「妖怪ハンター」シリーズだった。
小学5年生だったと思うが、その時は難しくてよくわからなかった。しかし高校生になった時読み返して
みれば、なんと面白いことか! ただ絵が気持ち悪いだけではなく、話が恐くかつ深いところが魅力的だった。
オカルトの知識もさまざまにちりばめられているから勉強にもなる。
このシリーズは映画にもなり、主人公の学者を沢田研二が演じ、そのエピソードが
本編にフィードバックされていたので腹を抱えて笑ってしまった。ホラー作家さんにはオチャメな人が多い。
諸星さんは近年「栞と紙魚子」シリーズ(朝日ソノラマ)という「少女漫画」
(もちろんホラーだが)を発表し、長年ファンをしている私たちのド肝を抜いてくれたが、それは
「ファンタジーとはかくあるべし」と呼べるものだった。クトゥルーちゃんのお母さん!!
最高に好だあああ〜〜〜!!! あなたをファンタスティックと言わずしてなんと言う!!!!
☆ 杉浦日向子 「百物語」(新潮社)「百日紅」(実業之日本社)他
江戸学者にして江戸エッセイストにして江戸漫画家。なぜそんなに江戸が好きなんだ、杉浦先生! さては
やっぱり「八百比丘尼」なのか(笑)!
「百物語」第一巻で、高橋克彦をして「杉浦日向子は八百比丘尼である」と
言わしめた「リアル」さを、私は「百日紅」を読んでいて感じた。
決してリアルではないシンプルな絵柄なのに、登場人物たちの肉声や息づかいまで伝わってくるような
臨場感が、実際に見てきたような写実感があるのが不思議でならない。中島梓は「タイムトラベラー」だと
言っていたが、なるほどそうとも考えられるな。
「大人」だった江戸時代の人間に比べて、現代の私たちのいかにガキであることかを悲しく思う。
「粋に」生きてみたいものだなあ。
☆ 今市子 「百鬼夜行抄」(朝日ソノラマ)他
ある日、あるコミック専門店で、ふと見かけた「百鬼夜行抄」第一巻の表紙に、ビビビビときてしまった。
さっそく中身を読んでみて、さらにビビビビビときた。これはスゴイ描き手が
出てきたなあと思った。まあ自分の好みに合ったということもあるんだけど。
「雰囲気のある絵」を描ける人は、そういない。それでいえば、今市子はまさに
雰囲気のある絵の描き手であると思う。あの抑え目の絵が「ホラー」でもなく「ファンタジー」でもない
「怪談」を表現するにふさわしい。そういえば、コワイ漫画が昨今流行だけど、「怪談」を描ける人は
これまた稀だ。「怪談」には、余計な演出や表現はかえって邪魔になる。できるだけ抑えた、写実的な表現が
最適なのだ。「人形供養」の中の、人の首が音もなく落ちて、それでも首なしの身体が静かに歩いてくる
シーンなんか、どれだけ恐かったか!!
それでも、この作家さんも「ギャグ」は決して忘れない。「恐怖」を描くには、
そこに必ず(たとえ表にでなくても)その反対の「笑い」がなくてはならない。一方に偏ったものの世界は
浅くて狭いものだ。それでは面白くない。すぐに限界がきてしまう。
「世界」は、奥深ければ奥深いほど魅力的なものなのだ。百鬼夜行抄の世界は、怖い怪談を語りながらも
面白くファンタスティックである。
ストーリー展開は、いろんな要素がモザイクのようにちりばめられていて、やがて
それが一つにまとまってゆくというのが作者の好みらしい。一度サラッと読んだだけではわかりにくい時も
あるので、じっくりと腰をすえて楽しむことをお薦めする。
この今さんをはじめ、この頃「同人」出身の漫画家がものすごく増えてきた。
それはそれでいいと思う。プロとして活躍し続けられるかどうかはおいといて、今さんのような描き手が
まだまだワンサといるかも知れないのだから、同人の世界は恐ろしい(笑)。
☆ 青池保子「エロイカより愛をこめて」(秋田書店)「修道士ファルコ」(白泉社)他
超ベテランにして、少女漫画の一時代を築いた大御所としても超メジャー。
怪作にして傑作「イブの息子たち」を世に送り出して、当時の私たちのド肝を
抜いてくれた。その次の作品がこの「エロイカより愛をこめて」だった。
何がスゴイって、こんなにも見事に「主役が交代した」作品って空前絶後かも(笑)。
よく脇役が気に入って、番外編や外伝の形でその脇役を主役に置く……というのはあるけど、エロイカの
場合、2話目に現れたゲストキャラのエーベルバッハ少佐が3話目から突然主役になってしまい、1話目で
主役だったはずの3人組は跡形もなく消えてしまった。グローリア伯爵も元はといえばゲストキャラだった
ので、脇役二人が主役を乗っ取ったというモノスゴイことが起こったわけだ。
だけど、それがまかり通ってしまったのは、ひとえに伯爵と少佐のキャラクター
ゆえだろう。きっと青池さんは、このキャラたちの暴走を止められなかったんだと思う(笑)。あるのだ、
そういうことが(汗)。
現実の世界情勢がバックボーンのリアルな設定と、キャラたちのハチャメチャさが
絶妙。青池さんの描くキャラは、どれも個性が強くて濃い〜い。エロイカでは、それらただでさえ濃い
キャラの軍人やスパイや政治家の、さらに濃い〜いガチンコ勝負が見られる。
青池さんのスゴイところの一つに、キャラの描き分けができることがある。
国際会議の場に集まった各国の政治家を、フランス人、ドイツ人、イギリス人と、見事に描き分けているのだ。
日本人と欧米人すら描き分けられない漫画家(おもに少女漫画家)がいるなかで、これはスーパーテクだよ!
掲載雑誌の廃刊で連載ストップという憂き目にあっていた「修道士ファルコ」が
復活した時は、その場で踊りたい気分だった。中世の修道院を舞台に、濃い〜いキャラの坊さんたちが
繰り広げるミステリィ。ぜひぜひ映像化してくれ!! できればイギリス・グラナダテレビあたりで(笑)!
ファルコ役には、ジュード・ロウ希望!!! ユアン・マクレガーでも可(大笑)!!
☆ 山岸涼子 「わたしの人形は良い人形」(角川書店)他
なにが怖いって、山岸さんの絵のタッチが一番怖い。
バレエ漫画の傑作「アラベスク」を描いていた時から(私はこれは詳しくは
知らないが)、こんな絵だったな〜。
細くて不安定で神経質そうなラインと、妙〜〜〜に白い画面。その白さとベタの
黒さのコントラストが醸し出す雰囲気が「怪談」を描くにふさわしい。
それは、今市子の描く怪談とは違う、もっと
暗い、もっと現実的な恐怖。そこにファンスティックな要素は皆無だ。人間の根源的な闇に対する
畏れがこめられている。読んでいて、嫌〜〜〜〜〜〜〜な気分になる。
また山岸さんの、人間そのものの恐ろしさを描いた作品も傑作揃いだ。
人間の「欲」や「恐怖」や「愛憎」や「狂気」を、こんなにも格調高く描ける人って他にいたっけ? さすが
「アラベスク」を描いていただけある。青年の狂気からの脱出を描いた「スピンクス」なんて
衝撃的だった。
☆ 星野之宣 「2001夜物語」(中央公論)「スターダストメモリーズ」(スコラ)他
SFの巨匠。硬派な画面。肉厚でドラマチックな、まるで映画を見ているようなストーリー。贅沢な気分に
されられる。
SFはファンタジーのなか
でも難しい分野だろう。「考証」なしでは、それはSFではなく単なるファンタジーになってしまう。
私はこの「考証」が面倒臭いので、SFには手を出さないことにしている(笑)。もちろん、単なる
ファンタジーにだって「考証」は必要なのだが。
その点、星野さんのSFは実に本格的、実にリアル。しっかりとした「考証」に
基づいてストーリーが練られている感じがする。たとえば宇宙生物とか、たとえば星のあり方とか、
SFには欠かせない「過去」や「未来」という時間の描き方とか。
星野SFのストーリーが重厚なのは、本格的なSFであるとともに、
そこに人間ドラマがあるからだ。宇宙の果てならでは、また宇宙の果てでも何ひとつ変わらない人間たちの、
愛や欲望や恐怖や悲しみが描かれる。「スターダストメモリーズ」のなかの「セス・アイボリーの21日間」
なんかもう、短編でありながら「人生って?」「人間って?」「生きるってなに?」と、泣きながら考え
させられる傑作である。
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